新チームで迎えた秋、京都国際との激闘。
わたしも「わかさスタジアム」のいつもの席で観戦していました。
9回裏、6点差を追いつ来ました。
最後は敗れたけれど、あの粘りを見て、胸が熱くなった人は少なくなかったと思います。
あきらめないという言葉は、誰にでも言える。
でも、それをグラウンドで見せることは、誰にでもできるわけじゃない。
あの9回裏には、平安が長い年月をかけて受け継いできた何かがあったように思う。
勝つ日もある。負ける日もある。
甲子園に行ける年もあれば、届かない年もある。
それでも、平安を応援する人たちはいなくならない。
なぜだろう?
きっと、平安という野球部が、単なる勝ち負け以上のものを、私たちに残してくれるからだ。
若い選手たちが懸命に努力する姿に、かつての自分を重ねる。
その姿から、明日も頑張ろうという力をもらう。
そして、いつかまた甲子園で、あのユニフォームが躍動する日を夢見る。
平安高校野球部とは、世代を超えて、人の心をつなぎ続ける野球部なのだ。
これから長い冬が始まる。
選手たちは、また新しい自分をつくっていく。
私たちファンにできることは、その成長を信じ、応援し続けることだ。
強いから好きなのではない。
勝つから応援するのでもない。
平安だから、応援する。
たったそれだけのことなのに、そこには、何十年分もの思いが詰まっている。
平安のユニフォームを着た青年たちが、今日もどこかで白球を追いかけている。
そのことが、なんだかうれしい。
そして、誇らしい。
平安高校野球部とは、青春が終わっても、青春を思い出させてくれる場所なのかもしれない。
がんばれ、龍谷大平安。
これまでも、これからも。
わたしの様な京都人の心には、いつも平安がある。